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Dec.15.2007"橘山"

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父が歩いたといふ山 落ち葉踏み行く

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父が逝って早十余年。僕の実家では命日に、
銀舎利のおむすび(素握り)を…三個供えることにしている。
これは僕の父が通っていた、前橋・城南小学校でのハナシ…

時は昭和15年頃、太平洋戦争まっただ中。皆がお腹を空かせていた時代。
国道17号線が、前橋から渋川へ向かう途中に「橘山」という山がある。
ある春の日の遠足の朝、父は朝の用便が我慢できずに粗相をしてしまった。

躾に厳しかった祖父は「罰」として、弁当のおむすびを一個減らした。
三個のおむすびが二個になってしまったが、
久しぶりに食べる銀舎利のおにぎりに、まだ父の胸は弾んでいた…

小学校を出発。軍隊の行軍よろしく、唱歌を歌いながら歩いたのだろうか。
今でこそ車で十数分の距離だが、戦時中の悪路のこと、
子供の足には一日がかりの「遠足」だったことだろう…

昼に橘山の頂…と言っても、国道から15分も歩けば着いてしまうような
小さな山だが…に着き、お待ちかねの弁当の時間となった。
喜び勇んで、腰を下ろすのももどかしく、
弁当を広げたその瞬間(とき)だった…

二個のおむすびの内、一個が…転げて藪の中へ消えていった…

父は…泣きっ面で、一個だけ残ったおむすびを大事に大事に食べた。
でも、どんなに大事に食べても一個のおむすびは…
半日歩いた子供のお腹を満たすには到底足りるものではなかった

長い長い道のりを歩いて帰った父は生涯、橘山という名前を忘れることはなかったようだ。
享年59歳で急逝した父。手術の合併症で、最後は十日も米の飯を食えずに死んでいった。
でもきっと、あの日…橘山から帰った晩の御飯は美味しかっただろうな…

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お読み下さい:掲載写真の著作権について New !!
Photographer : myu.Kurosawa
date : Dec.7.2007
Title : "橘山(たちばなやま)"
f=8.0, T=1/50, ISO=50(Apature-priority)
Lens/Camera : LEICA DC VARIO-ELMARIT/Panasonic FZ-2

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by myu_image | 2007-12-15 10:09 | Photo diary
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